シャルルドゴール空港から飛行機で1時間半、ピレネックスの創業地であるサンセベに近いポー空港へ到着する。外を見るとピレネー山脈が力強く鎮座しており、日本では体験できないスケールの大きさに圧倒されてしまう。ブランドロゴにもなっているように、ピレネックスはこのピレネー山脈のふもとで羽毛を加工する会社として創業した。世界中にはたくさんのダウンブランドが存在するが、ダウンを原毛から扱うブランドは限りなく少ない。現在も羽毛の供給ビジネスとともに、寝具やウェアの生産を行っているわけだが、ピレネックスの“キモ”はまさにこの羽毛にあり、ここサンセべで生まれるダウンこそがピレネックス最大の魅力なのだ。
今回、ピレネックスへ原毛の提供を行っている農場、そして羽毛の加工を行うピレネックスの本社工場を見学するために、私たちは現地へと向かった。ポー空港から車で40分ほど走ると、近代的な建物は無くなり、南フランスののどかな田園風景へと景色は変わる。
「この畑はコーンを育てているんだよ。しかも人間が食べる用ではなくて、ダックの飼料としてコーンを生産しているんだ」とピレネックスのディレクターであるエリックさんが教えてくれた。さらに、後で知ることになるが、このあたりに生えているモミの木も計画的に植林されたもので、伐採する本数よりも植える本数のほうが多くなくてはならないという決まりがあるそうだ。このモミの木から作られるチップは、ダックの雛を育てる際に床に敷き詰められ、雛をストレスから守ってくれる。そして使い終わったチップはコーンの畑にまき、それを肥料としてコーンが育つという。つまり、ここサンセべでは様々なことが循環するように決まりがあり、それを遵守することで、名産であるダックがより良く育つようになっているようだ。
「ここがピレネックスに原毛を供給してくれるファームだよ」
車を降りると、広大な敷地が目の前に現れる。と同時に1匹のボーダーコリーが我々を出迎えてくれた。人懐っこい彼のおなかをなでていると、
「とても可愛いでしょう? 彼は私が右に行けといえば従い、左に行けといえばその通りに動いてくれる。非常に優秀なパートナーだよ」と紹介してくれたのは農場のオーナーであるベルナールさん。屈強な体つきで、こちらのボーダーコリーとフレンチブルドック2匹、ネコ1匹、そしてともに農場を管理する奥様と生活をしているナイスガイだ。彼の生業は1920年創業、フォアグラの老舗メゾンである「ラフィット」へフォアグラを供給するために、ダックを雛から16週かけて立派な成鳥へと育てることだ。
最初に案内をしてもらったのは、ダックの雛を育てるスペース。手を消毒し、衛生管理用の防護服を来て中へ入ると、そこには先ほど紹介したモミの木のチップが敷き詰められていて、その上をたくさんの雛が移動している。
「ここは最大8000羽を収容できるスペースなんだけど、私の農場では3200羽を上限としているんだ。これはラベルルージュ※で定められた基準値なんだよ。こうしてストレスのない環境づくりをすることも、良いダックを育てる秘訣なんだ」と小さな雛を手のひらに乗せながら教えてくれた。この雛たちは、ベルナールさんの農場とは20年以上の付き合いになる、ゲノム※から個体を管理している会社より、孵化1時間で届くようになっているそうだ。雛たちは、このスペースと放牧とを繰り返しながら1日も抜かりなく管理される。ウソかホントか、ベルナールさんはこの3200羽の個体1羽1羽を認識しているそう。
「与える飼料、飼料や水をあげる機械もラベルルージュで定められたものを使っているんだよ。そして、一番大切なことは彼らの目線で見ること。例えば温度計は彼らの目線の位置に設置しているんだ」
※ラベルルージュ…農水産物、食料品の高い品質が公的に認められていることを示すラベルで、生産者団体が作成した厳密な仕様書について、フランス政府から認可を受けている証
※ゲノム…遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉
徹底したという言葉では足りないくらい徹底された管理に驚きながら、我々は成鳥になったダックを放牧している場所へと移動する。移動と簡単に言っても、ダックたちは非常に広大な土地に放牧されているので歩くとなるとなかなかの距離だ。移動している途中で、いくつもダックはいないが柵で囲まれたスペースがあったことが気になり、ベルナールさんに聞いてみた。
「ここでは全部で4つのファームがあるんだけど、そのうち一つだけにダックを放牧するんだ。残りの3つには肥料をまき、草を育て、放牧されたダックが栄養をしっかりと取れる場所になるようにスタンバイさせているんだよ」放牧される場所になる頃には、1mほどの草が生い茂るそうだが、1日もあれば彼らはそれをすべて食べてしまうそうだ。
成鳥のダックが放牧されている農場に着き、まず驚いたのはその個体の大きさ。一般的に想像されるダックの1.5倍~2倍近く大きいだろうか。雛の時と同様に消毒を済ませ、放牧スペースの中に入ると、ボーダーコリーがダックたちを小さなスペースに誘導する。さながらテレビで見る牧羊犬の動きに感動しながら待っていると、ベルナールさんが1羽のダックを捕まえて我々のもとへやってきた。
「ここを触ってごらん」ベルナールさんにそう言われ、ダックの胸部分を触ってみると、そこは驚くほどふわふわで、想像していたよりもずっと柔らかかった。いわゆる“ダウン”と呼ばれる部分はダックの胸の部分に生えている毛のことを言い、フェザーというのは羽の下に生えている毛を指し、ダウンは柔らかく、フェザーのほうが少し硬い。というイメージを持って農場を訪れたが、実際に両方を触って比べてみると、差はほとんどないくらいどちらも柔らかく、そのイメージは覆された。
農場の見学を一通り終えると、ベルナールさんは我々を自宅に招き入れ、「ラフィット」のフォアグラをバケットに乗せ、御馳走してくれた。フランスではクリスマスやお祝いの際、必ずといっていいほどフォアグラを食べるそうだ。いわばそれは、この国の伝統であり、文化として大切にしていること。そのために彼はダックを徹底して管理し、完璧に育て上げ、フランスの伝統文化であるフォアグラを最高級のグレードで生産しているのだ。こういった背景があるからこそ、その副産物として生まれ、フランスの文化が色濃く反映されたダウンもまた、最高級であることは必然なことだと言えるかもしれない。